わたしのみち

おもうこと、ひびのことあれこれ




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8月1日は「花火の日」だった

自宅前の道をバイパスに向かって歩く。そこに架かる橋の上から毎年花火を見ていた8月1日。
もう何十年と経つのに決まった日になるとその花火とそれを見る自分が俯瞰で思い浮かび出す。


その橋から花火大会の会場までは15kmほどあって、まだ明るい夕方からワクワクして欄干に凭れ始まりの音を待った。
15kmも離れていても肉眼で小さいながらも花火が見えるのはまだ街が成長してなかったから。
最初はあまり高い花火は上がらないので音だけが聞こえ、もうじき来る興奮を知らせる。

そういうシチュエーションを覚えている。
花火自体よりその一連の行動を覚えていて、8月1日にだけ決まって思い出すのだ。
自分の立つ橋の下にはまっすぐ伸びるバイパス。
走っていく車にはいつかこの場所を離れてどこへでも行けるという希望を乗せた。

その頃の私は「その場所」に居たくなかった。
クラス女子で行われる擦り付けあういじめとか、それが自分に回ってくる恐怖とか、そのペースがだんだん早くなっている絶望とか。
走っていく車を早く自分で運転したかった。自分で選んだ場所に行けるように。

花火大会終盤、爆音と共に赤が雲に映り空に広がる。
「なくなってしまえばいいのに」
世界の終わりのような恐ろしい光景にそんなことを思ったけど、今の私はなんとかちゃんと生きている。
自分で考えて生きる場所を選んでこれた。
あの小さかった私は救われたかな?


同じ場所から花火はもう見えないのを私は知っている。
それでも今も遠くを見つめてる子はきっといるんだろうな。