わたしのみち

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今も夫婦でいるということ

人はどんな苦しい状況であってもそれをすべて吐露できる相手はいないのではないかと思っている。なにかしらフェイクを入れたりここまでは言えるけどこの先は黙っておこうとなることが一般的なんじゃないか?その最たるものが夫婦関係・家庭環境だと思うんだけどどうだろう?

ブログを始めて同年代の同環境(既婚・子あり)の方のエントリーをよく読んできた。まぁざっくりとした感想としては「ふぇ〜みなさん夫婦・家族仲がいいのね〜」である。でもそれは生活のごく一部を切り取っただけのものであり個々悩みも迷いも当然あるんだろうなくらいには捉えている。本当の中身をよく知らずおしどり夫婦一蓮托生と思っていた家庭が離散されているのを見ると驚くと同時に「みんな上手く隠して生きている」と感じる程度にねじれている私である。そりゃそうよね、多様性が認められつつある時代とはいっても「いつもニコニコ仲良し家族」がベストとされている中でレールを外れてしまったら「それを語ることは恥」と思ってしまう。自らそんなもの晒す必要もないし、それでも愚痴りたいときはフェイクを入れつつちょっとスッキリして溜飲下げて生きていけたらまぁいいかと思うんだ。誰かのすべてを知りたいわけじゃない。だから私も上手く隠して生きていく・・・って感じである。



『今も夫婦でいるということ』はよく考えること。もちろん他人の夫婦のことではなく自らの夫婦関係について。「なんでこの環境で夫婦でいるんだ?」「離婚しても困らないんじゃないか?」ってことをよく考えてしまう程度に私達の夫婦関係は健全とは言えない反面支え合って生きている。
「旦那さんのこと愛してますか?」と聞かれたら即答できない自分がいる。「愛ってどういう意味で?恋人みたいな感じ?家族としての愛?情のこと?」なんてこじれさせて考えるくらい即答できないでいる。「愛情はなく家庭を共同運営しているだけの関係は夫婦という制度上の関係を保たなくていいんじゃないか?」とは思うことはあるけどその先に進む(離婚)気はあまり起きてこない。なんでか?だって楽なんだもん。
結婚当初はDINKs気取りで暮らしていた。妊娠・退職・出産を経て夫の仕事が多忙になり全国出張に飛び回りほぼ家に帰らない日々が続いた。当然ワンオペ育児家事となったが私は辛くなると飛行機に飛び乗って実家に帰った。夫が毎日帰宅する状況なら度々実家に帰ることはできなかっただろう。そして子供が大きく成長した頃、夫の浮気が発覚した。この時までは確実に愛情はあった。夫の裏切りを知り怒り悲しみ苦しんだ結果離婚を決断する程に愛情はあった。夫の抗いもあったが最終的に再構築したのは「この人を放り出したらボロボロになってしまう」という"情"だけが残ったせいだと今になって思う。
とは言っても夫がいるから叶えられることもあるのは事実で、夫と二本柱で収入があるから子供の希望に沿って塾に行かせられるし進学も道を細めることなく選ばせられるんだと思う。まぁ夫にしてもゴロゴロしてるだけでご飯が出てくるんだから現状を大きく変える気はなさそうで、お互いいいとこ取りで支え合ってる不健全夫婦である。


先日、内田裕也さんが亡くなった。妻の樹木希林さんが亡くなって半年。よく「妻が先立つと夫は弱い」と言うけど希林さんが亡くなった際の裕也さんの憔悴ぷりには驚いた。
二人は戸籍上夫婦であったわけだが結婚1年ほどで別居、過去裕也さんが離婚を強く希望したことも知られている。となると希林さんの逝去もロックンロールで乗り越えるんだと思っていたんだけど。「離婚してしがらみなくそれぞれの道を行けばいいのに」と思う人が多いだろう中、二人には二人の夫婦の形がありそこには愛情なのか情なのか何かしらの太いつながりがあった訳だ。他人にはわからない何かが、他人にはつまらないものでも当人にとっては輝く石であったというのをまざまざと見せつけられた気がした。
「離婚したほうが精神的に楽じゃない?」そう提案することはそれほど憚られることではなくなった気がする。夫婦関係で今の時代我慢に我慢を重ねるより離婚を選択するハードルはかなり低くなった。そこに協議・調停・裁判は人それぞれあるだろうけど。
他人にすると離婚に値する関係に見えてもその夫婦には一緒にいる理由があるということを我が不健全夫婦に当てはめてみた。きっと私達も不健全なまま年老いていつかどちらかが枯れるときになって大切にしていたものに気づくのかもしれないけど、それはそれで幸せなことなんじゃないかとぼんやり考えている。