わたしのみち

おもうこと、ひびのことあれこれ




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人並みになりたいと思いながら世界を閉ざしてたのかもしれない

タレントの山口もえさんが炎上したそうですね。

いつまでたっても無添加な記憶はある

「人生が90歳までだとして中学3年間は90分の3年。人生長い意味で考えたら、この時間すごくつらいけど頑張ろうと思える。つらいけどそれも一瞬」
山口もえ いじめを取り上げた番組での発言を謝罪「真意が伝わらず」 - ライブドアニュース

確かにずっと後になってみるとその3年間は短い期間かもしれないけどそれを一瞬のことだったと私は今も思ってはいない。
小学校の5・6年生の2年間いじめにあっていたけど、30年以上経っても結構鮮明に思い出せるんですよね。何をされたかとか、どんな辛さがあったとか、幸い解決したけどそれはどんな経緯を辿ったのかなど。
色んな記憶は色あせていって現実にあったことに期待や希望や後悔が加味されて、人に話してみるとそうじゃなかったよってことはあるのかもしれないけど、たぶんこの2年間の記憶は無添加な記憶だと言えるほどあのシーンもあの言葉も思い出せるわけです。

「辛い経験を乗り越えたのちにその期間も長い人生の中で見るとほんの一瞬だったんだなと思えたら、心が少しでも楽になるのではないのかなと思っての発言でした。ただ その瞬間を乗り切れる人ばかりではないと言う事をうまく伝える事が出来ませんでした」
山口もえ いじめを取り上げた番組での発言を謝罪「真意が伝わらず」 - ライブドアニュース

山口もえさんってきっといい人なんだろうなって思います。辛い経験があった人も今は幸せであって欲しいと願えるような、こう考えてみたら少し楽になれるんじゃない?って親切心からのアドバイス。だけどそれって当事者にとってはそんな簡単に切り替えられることではなく、そんな経験ないからそう言えるんだよねヽ( ´ー)ノ フッ って思わせちゃったりするんですよね。
偉ぶってべきべき話をするような人ではないと思うし、相手を思い色々提案する中であなたのベストを探しましょうと一緒に考えてくれるタイプかなって思うのですが、その提案のどれもがどこまでいってもベストではないことは多々あるわけで。
しかも最初の切り取った言葉からは炎上後の真意の説明は読み取りにくいのでやっぱり言葉って限られた時間の中で伝えるのは難しいなと思ったり、まとめきれないなら中途半端に口にするのは怖いなと思いました。
人との会話の中でポンポンと応酬できるならいいけど、ブログもそうだけど一方通行の発言は真意の説明は後付けの言い訳ととられかねないし。
そういう意味ではコツコツ書いたブログも公開しないでお蔵入りになることもあります。

まぁ、今回の炎上も山口もえさんの悪意の言葉とは思っておらずこれ以上追うつもりもありません。

普通になろうとしていた

過去にこのブログでもいじめにあっていたことを書いたような書いてないような。まぁそれ前聞いたって話があればごめんなさいね。

小学校5・6年でいじめにあって、進学先の中学校はほぼ同じメンバーがいました。ただ3つの小学校が1つの中学校に集まるので、私がいじめにあってたことを知ってる人数は薄まります。
その中で私は「普通になろう」としてたんです。いじめられてた私は普通じゃなかったんだと思ってます。じゃぁ何が私の中の普通だったかと言うと、「あいついじめられてたんだぜ」ってみんなの記憶を限りなく薄くさせることです。2~3人の心やすい友達が持てて休み時間には誰かの机に集まって他愛ない話で笑い合えたらいい、授業でペアやグループを組むときにスムーズに組む相手が見つかる、家の近所にはいじめっこがいたから早く帰宅したくないから部活をする。そんな感じでした。

中学校では一切いじめにあわなかったし、勉強も躓かなかったし、好きな人もできたし、片想いの中できゃっきゃもしたし、失恋もしたし、部活も3年間頑張ったし、すごくノーマルな中学生活大成功だったと思っていました。最近まで。

同級生のこと覚えてないや

結構人数の多い学校(40人×11クラス)だったので当然覚えてない人がいたって仕方ないんですよ。でもそれにしても覚えてないことに気づきました。

中3のクラスメイトとは今でもよく飲み会を開きます。そんな時にクラスメイトではない誰かの話題になると「誰それ?」なんですよね。『2年のときしゅうと同じクラスだった〇〇だよ』とか言われても全然覚えてない。中学生どころか小学校のメンバーでさえ覚えてない人が結構いることに自分自身びっくりして、私はどれだけ閉ざしてたんだとちょっとね、愕然としました。
いじめの2年間が過去になるほど「普通になろう」という意識は高まって人と無難にかかわることを心がけていました。でも、その仲良くできる世界を守ろうと必死でそれ以外をシャットアウトしてたのかなって思ったりします。手を広げ過ぎて関係が繋がりすぎて絡まるのを避けて、目の前の温かい世界以外は全く見ていなかったようです。
一人でいることを怖がるなとも思っていて、和気あいあいとする和の中に途中からスルッと入れなくても「私は平気オーラ」を纏っていたし、普通な自分を作って適度に交流があって二重丸と思ってたけど本当に普通の学生生活を送ってた人よりずっと視界は狭かったようです。

今も一人が多いけど

大人になるにつれてもっと一人は平気になって一人が好きと思い込んでたけど、何かの折に人と交流すると楽しいんですよね。ママ友なんかも積極的に作るタイプじゃなかったけど今となっては広く浅くで無難に過ぎたと思ってます。たまにお声がかかってわいわいと過ごすとめっちゃ楽しい。けど途中から疲れも感じることもあったりして「あ~やっぱり一人を好むタイプなのかな。これ以上深入りするのを避けてるな」と考えることがあります。
それを思うとやっぱりいじめの2年間に思いは繋がるし、あの2年は一瞬ではなかったし忘れてないし乗り越えてないなって感じます。

山口もえさんの言葉が炎上するのって私と同じように時は経ったけどちょっとしたきっかけで思いはいじめられてたころに通じる人が多いんだろうな。
大人になって自分を守る術を身につけて究極の天邪鬼を作り出してしまったと感じる出来事でした。




ARIGATO☆