わたしのみち

おもうこと、ひびのことあれこれ




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敏感だと思ってた自分が鈍感で、普通だと思ってた他人が敏感なのか

「なぁ!痛かった?どのくらい痛かった!??」
自分の並ぶ列の横を通り過ぎる友人を一人一人捕まえて痛みの具合を確認する。
学校での集団予防接種を経験した人ならわかるであろうこのセリフです。

「あ~!わかるわかる!」「え、なにそれ?」で世代がわかりますね(笑)

集団接種が今日の本題ではないんですけど、少しだけ触れておきましょう。

集団予防接種とは

昭和51年(1976)に予防接種法が改正され小中学校で集団予防接種が義務化されました。感染拡大を食い止めるには集団行動をしている学童で予防することが有効だと考えらたためです。
その後副作用が問題視されるワクチンが見つかり、平成6年(1994年)再び予防接種法の改正により集団予防接種は中止となりました。

では予防接種はどうなったかというとご存じの通り、定期接種任意接種になりました。

定期接種と任意接種

定期接種

定期接種とは予防接種法に基づき自治体が主体となって行うもので費用は公費があてられ、個人負担はありません。

任意接種

任意接種とは希望者が病院を受診して受けるもので費用は個人負担となります。(自治体によって助成がある場合もあります)

集団接種がなくなってから

対象が乳幼児・児童である場合、接種の判断は保護者に任されるということです。
特に任意接種は受けないという方もいらっしゃいます。代表的なのがインフルエンザワクチンです。
任意接種のワクチンって病院によって接種費用が違いますし、健康な子を病院に連れて行って罹患する恐れもあります。副作用に対する考え方も人さまざまです。
インフルエンザワクチンはある年齢までは年2回接種が必要で費用もドンと圧し掛かってきますけど、それよりも風邪をひいてるから見送ってたら時期を逃したなんてことも。

産後、自治体から案内された予防接種を躊躇いなく打たせた私は普通の母親なのか副作用への認識が甘い母親なのかは知りませんが、必要以上に副作用を怖がってワクチン接種せず病にかかるよりはいいと思っています。
必要とされるものはすべて接種し、インフルエンザも毎年受けている立場としては「インフルエンザくらい集団接種して欲しい」と思っていたりします。


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そんで、こんな真面目な話を書きたかったわけではなくタイトルですよ。
何がって痛みの話である。(1行目に戻る・・・遠いっ!遠回りすぎるwww)

私は痛がり

出産

長男出産では陣痛の痛みに「こんなのまだまだ序の口なんだろう、もっと痛くなるんだろう」と堪えて堪えて堪えきれず「恥ずかしながらこんな浅い痛みで堪えきれずやってきてしまいました」と受診したら、子宮口8cmで分娩台直行→30分後には赤子を胸に抱いていたのです。あれ?

手術

舌に腫瘍ができたときの切除手術で局所麻酔(舌に注射針!)に怯えて心臓爆発しそうで「あぁ、私心筋梗塞で死ぬんじゃないか」と思っていたら麻酔どころか手術が終わっていたとか。

イボ除去

つい昨日のことなんですけど、小鼻の横に1mmほどのイボができて半年以上。最初の頃は「脂肪芯だろうからポロっと取れるだろう」と思っていたら取れずに日は経ちました。
顔ですから気になりますよね。取ってもらおうと皮膚科に相談に行ったら「液体窒素で治療します」ってさ。
思わずT-1000が思い浮かびましたw

私、木っ端みじんになるの!?(んなこたーない)
追い打ちで「それで取っちゃいましょう!コレ(ピンセット?)で。」ちぎるってことーー!!?

液体窒素をしみ込ませた綿棒を持つ先生を前に目をギュッとつむる。
「それじゃあいきますよー」は液体窒素がくる合図だと思ったらブチってwww
ちぎられました。あれ?痛くない。

実は一般的にみて鈍感なのかもしれない

先生は「すごく痛いと思います」と言った。
舌の手術に関しては「私、舌に注射したことないのでわかりません」とも言われた。
(患者の緊張を和らげる気あんのかな?)
ネットで同じ治療を経験した人の体験を見ても痛さを訴えていて恐怖におののいていたんだけど、それほど堪えられない痛みではなかった。
色んな場面で世間が痛い痛いということを自分が経験してみると拍子抜けってことがチラホラあるのです。私って実は鈍感なんだろうか?

人の痛みを忘れてはいけない

痛みの度合いを人に伝えるのは難しいし、感じ方は人それぞれだから他人の「めっちゃ痛い」は私にも通じるとは限らないけど大差ないだろうと思っていた。でも実はそうではないかもと最近感じている。
私は鈍感なんだと感じ始めた最近である(遅いw)。
逆に言えば私が平気だからといって他人も平気だというわけではない。
ワンクッション「私の場合は」とすることで他人の痛みに無関心ではないことを表せるんですよね。

これは物理的な刺激に対する痛みだけではなく感情、心の痛みにも言えること。
「Twitterで何気なく吐き出した言葉に誰かが痛みを感じてるかもしれないなぁ」なんてことを考え出してツイートできなくなってる私です。(誰かツッコんでww)


とりあえず、私は痛みに鈍感である(ようだ)。
なーんて思ってたら痛ってー!!ってことにぶち当たる気がします。

うん、とりとめない文章ですいません。




ARIGATO☆