わたしのみち

おもうこと、ひびのことあれこれ




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冷たいと思っていた東京。タクシードライバーが心をほぐしてくれた。

「方言」の話を書いていて、思い出した話を書こう。

 

14年前のちょうど今の時期、夫の転勤で東京に引っ越した。

選んだ住まいは足立区「北綾瀬」。

駅から徒歩5分の新築賃貸マンションだった。

住宅手当が会社から出るので自己負担は2割。

それほど家賃は重視しなかった。

家の近くには「綾瀬」まで続く緑の多い大きな公園がある。

息子がまだ6カ月だったこともあり、公共交通機関を使うことも含め、

良い環境だと思った。

あの忌まわしい事件と自分が選んだ住まいがそれほど近いとは当時気づかず。

  

初めて大阪を離れての生活だった。

知人もいない、小さい子供を抱えての生活だが、

不思議とそれほど不安はなかった。

夫は午前9~10時に家を出て、深夜12~1時に帰宅する生活。

寂しさがないとは言えないが、がんばって働いてくれてること、

日中の生活リズムが私と息子に合わせて一定で過ごせたことが、

心的圧迫をなくしていた。

児童館で多くのママ友とも出会え、楽しい時間を過ごしていた。

時には家に集まり、たこ焼きパーティー、

ある日は沖縄出身者によるタコライスパーティー、

水戸出身者による美味しい納豆の食べ方など、よくランチ会もした。

東京生まれの人はとても喜んでいたし、

それぞれが地元に思いを馳せながらも友人に披露して上手に交流していた。

 

何も問題はないと思っていた。

親が近所にいなくても、地元の友人と離れても、住み慣れた土地じゃなくても、

私は上手くやっていけてると思っていた。

不安も寂しさもなかった。

 

*****

 

ある日、百貨店に用事があり、松戸の伊勢丹に出かけた。

都心に出るより近く、込み合ってないので子連れには楽だった。

いつもなら松戸から綾瀬まで常磐線で、乗り換えて北綾瀬まで帰るのだが、

荷物が多かったので手前の亀有で下車した。

タクシーに乗ろうと思ったのだ。

並ぶタクシー、並ぶ乗客。順番に巡ってきただけのタクシーに乗った。

「北綾瀬までお願いします。」

たったこの一言で運転手は私が関西出身者だと見抜いた。

「関西から来たの?ご主人の転勤?小さい子がいるのに大変だね。」

よくしゃべる運転手だったが、関西に拒否感を持ったような話ではなかったので、

親しみがわいた。

たった10分ほどの乗車だが、とても心地よい時間だった。

 

別の日、また亀有でタクシーに乗った。

ただ順番に巡ってきただけのタクシーだが、運転手は前の運転手だった。

「北綾瀬までお願いします。」

この一言に「関西の人かな?」と言われて気づいたのだ。

「先日も乗せていただきましたね。」と言うと、

そういえばと思い出してくれた。

「たまたまなのに縁があるねぇ。」と言われた。

たった10分ほどの客なのに思い出してくれてうれしかった。

友人とは違う、ただの客なのにその人の記憶に自分が残っていることがうれしかった。

私という存在を個として認識してくれる人がいることがうれしかった。

 

*****

 

東京に来て初めての秋。

3日だけだったが、大阪から母が遊びに来てくれた。

それまでも帰阪は何度かしていたが来てくれたのは初めてだった。

浅草へ行ったり、駒形でどじょうを食べた。

築地から月島へ行ってもんじゃ焼きを食べた。

大阪ではなかなか味わえないものを楽しんでもらおうとした。

3日だけだったが、一緒に寝起きし時間を過ごす中で、

終わりの時間が近づくにつれモヤモヤした気分が心を埋めていった。

 

最後の日の夕方、亀有から空港バスに乗る母を見送った。

「ここで大丈夫。」という母を押し切って、私と息子もバスに乗った。

バスの中で楽しそうに過ごす息子と母を見ながら心のモヤモヤはどんどん増していく。

羽田空港に到着して搭乗手続きを済ませて、保安検査場を通過する母を見送ったら、

堪えていたものが噴き出した。

鼻の奥の方がツンとなり目頭が熱くなる。

歯をくいしばったり、唇をかんでみるけれど、それは自然に流れ落ちた。

人目もはばからず次々溢れ流れ落ちるそれを止める術はなかった。

トイレに駆け込み、落ち着くのを待つ。

息子は不思議そうな顔で私を見ている。

「大丈夫だからね~。」と言いながら目の赤さが引くのを待って、

帰りの空港バスに乗った。

 

東京に来て、友人もたくさんできて楽しく過ごしている。

母や大阪の友達とも電話やメールでしょっちゅう話している。

心配事などなく、快適にすごしている生活で、何も問題はなかったのに、

なぜ涙が流れるんだろう。

大阪を離れる娘を心配してくれた母を安心させられるような日常を見てもらいながら、

何を泣くことがあるんだろう。

 

亀有に到着した空港バスを降りて、タクシーに乗った。

ただ順番に巡ってきただけのタクシーだが、あの運転手だった。

「北綾瀬までお願いします。」

「あぁ、何度か乗ってもらったね。」

その瞬間、また涙があふれた。

こぼれ落ちないように堪えても、あふれたものは流れ落ちるしかない。

涙をぬぐったのを見たのか、鼻をすすったのが聞こえたのか。

「大変なこともあるよね。」と運転手は言った。

大変なことなど何もないと思った。

「母が来ていたので空港まで送りに行ったんですけど・・・」

その先の言葉が出てこない。

「遠くに来て、そりゃ大変だよ。がんばってるんだろうね。

お母さんが来てくれたのなら気が緩んだんだね。」

 

そうか。

不安もなく元気に楽しく過ごしていると思っていたけど、

私はずっと気を張っていたんだ。

息子の友達をつくり、自分の友達をつくり、寂しく辛くならないようにと。

ほとんどの育児を一人でこなして、帰りの遅い夫を待つ。

当たり前に思っていたけど、それは何かを閉じ込めていただけかもしれない。

元気でやっていることを母に知らせながらも、それは心配させないように。

大阪と同じ日常のつもりでも、それに近づくように突っ走っていたんだ。

母が来たのは東京見物をしたかったわけでもなく、

孫の顔を見るより以前に、

私をいっときでもただの娘に戻してくれるためだったのかもしれない。

 

 

何も言わなくてもタクシーはマンションの前に着いた。

「ありがとうございます。」

と言った私に運転手はちゃんと振り向いて笑ってくれた。

送ってくれて「ありがとう」

私の存在を覚えてくれてて「ありがとう」

張っていた風船をチクリと割ってくれて「ありがとう」

  

それからも何度も亀有からタクシーに乗ったけど、

二度とその運転手に会うことはなかった。

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ARIGATO☆