高野山に弘法大師が密教の道場を開いて1200年。
高野山開創1200年記念大法会として絢爛壮麗な法会が日々執り行われています。
弘法大師といえば「弘法にも筆の誤り」くらいしか思い浮かばない私・・・
どんなに優秀な人でも間違えることはあると失敗の戒めだと思っていましたが、
「優秀な人は間違いを正すのも常人とは違う」という賞賛の意味もあるそうです。
弘法大師の若き日、大学では儒教中心で官僚育成が優先されており、
社会を良くし民衆の幸福のために役立つ学問ではなかったそうです。
しばらくして大学を去り出家され、名を空海と改められました。
唐へ渡り、恵果和尚から密教のすべてを受け継いだ弘法大師。
日本に帰ることを決め、道場を開く場所の道しるべとなるよう、
「三鈷(さんこ)」を投げられました。
それが引っかかったのが高野山・御影堂の前の松でした。
奈良の山中で出会った白と黒の二匹の犬が弘法大師を「三鈷の松」へみちびき、
その地を道場建設の地とされたそうです。
「世の中を変えたい。人々を救いたい。」という思いで密教を学ばれ、
高野山で「真言宗」を開かれたんですね。
私は真言宗ではありません。
よく言われますが、結婚式はチャペル、新年のお参りは神社、亡くなったときはお寺・・・
やっぱり変わってますよね。
信仰のしっかりしている方はそんなことはないと思うのですが、
私は全くその道をたどっています(;'∀')
信仰心をしっかり持って、その教えをいつも胸に置いていると強くいられるのかもしれません。
でも、そうでない私は弱った時、神社へお詣りしたり、お寺にお詣りしたり、
その場の雰囲気で癒されて回復できるので、
特別な信仰心を持ってなくてもいいんじゃないかと思ってたりします。
お参りの際、神主さんやお坊さんのお話を聞けたりすると、
胸にストンと落ちるものがあり、心穏やかになれるのも事実です。
荒んだときは何かに頼りたくなるものです。
それがその時々で違ってもいいなかなって思います。
これは「心」。アワビとししとうではありません。
ハイ・・・お腹がすいていた私にはそう見えました( ;∀;)
流行りに乗るわけではありませんが、
今回初めて御朱印帳を買いました。
神社仏閣に詣るのはもともと好きでしたし、
以前奈良県の「七福八宝」詣りで専用台紙を頂きまわったこともありました。
それをきちんと御朱印帳にまとめたいと思い購入しました。
高野山・檀上伽羅で買い求めたときこんなことを教えてくださいました。
- お詣りした証として頂戴するものです。
御朱印ガール??など流行で取りざたされていますが、
コレクション目当てでまわるのはどうなのかなと感じています。
やはりその「神社仏閣を参拝した証」という思いを持ってほしいです。
自分にとっての御守りだと思うので、スタンプラリー感覚はよくないですね。
- お寺と神社の御朱印を分ける必要はありません。
お寺と神社を同じ御朱印帳にいただいてもいいのかしら?と思っていたのですが、
分ける必要がないと聞き、神の世界は心が広い!と思った!
でも、たまに断られる所もあるそうですよ。
- 亡くなった時、それだけ得度を積んだとして棺に入れてください。
これも初耳です!早速夫や子供にお願いしておきました(笑)
「心が弱った時詣る」でいいと思うんです。
それがいずれ日々心の中で色んな教えが根付き、心がけに変わるんだと思います。
更に御朱印(御守り)を頂くことで、見返して心がけを思い出させることになると思います。
高野山開創1200年記念大法会は平成27年5月21日(木)まで行っています。
檀上伽羅の金堂御本尊の初公開や金剛峯寺御本尊の16年ぶりの公開もあります。
各所特別公開も行われていますので、詣ってみてください。
ARIGATO☆
あとがき -2016.06.29-
1200年記念大法会は終わっていますが、それに縛られずぜひ詣ってみてください。
高野山全体が神聖な空気に満ちています。
説法を聞いていると当たり前に過ごしてきた日常にも感謝が生まれます。
もう行ってから1年以上経過していますが、そろそろもう一度行きたいですね。
宿坊体験などもしてみたいところです。