わたしのみち

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斉藤由貴さんの会見コメントを聞いて腑に落ちてしまった

政界・芸能界、不倫報道が相次いでますね。ときめきとはしばらく縁遠くおりますしゅうです、ごきげんよう。
普段あまり有名人の不倫など興味はないのですが、ニュース番組でも不倫報道を流しますからそれぞれのコメントは自然と目に入ってきます。


まぁ人様の不倫をあからさまにして流さなくても・・・とは思うのですが、会見を見るとご自身の欲望に対する言い訳のようなコメントばかりで胸が抉られる思いです。
なぜなら、私は人の妻であり同じ妻の立場で『浮気された奥様』の立ち位置で見てしまうから。
「夫婦関係はすでに破たんしていました」なんて言葉を聞かされてもフンフンと素直に受け止めることはできないし、
破たんしていると思ってたのはあなた(夫)だけで奥様は一生懸命だったかもしれないのに・・・なんて思ってしまうんですよね。
その実は夫婦にしかわからないことです。
例え「もう離婚するしかない」となっている夫婦であってもまだ婚姻中に配偶者の他者への愛を見せつけられて心穏やかでいられるはずがないと感じています。
そんな状態だからこそ余計に怒りや苦しみは増すのではないかとも。
だから他人ながら奥様を思って胸を抉られる思いが出てくるのです。


そして斉藤由貴さんの謝罪会見です。
一体誰に謝罪するの?謝罪するとしたら夫や子供、身内だけでよくない?と思うのは一旦置いといて。
用事をしながら耳に流れ込んできた言葉が妙に胸に残りました。
「私が弱っていたんです。優しくされて差し出された手に甘えたくなってしまって。」
彼女が発した言葉のままではありませんが、こんな感じで言ってたと思います。
その言葉は今までの色んな不倫会見でのご自身の立場を、相手の立場を守るだけの言い訳コメントではなく、
同年代の女性なら共感することも多いだろう本音だなぁ・・・と受け取りました。

人ってその人なりの状況に応じ強く生きてる人もいるけど自分の弱り時って感じると思います。
私もそうで、弱音ばかり吐いて生きてませんし、へこたれるわけにいかないけど弱ってる時はあります。
夫婦で長く生活していると女としてより同志である感覚を持っていて、そんな中で弱音を吐くより自分で何とかしようとする力が昔より増してます。
もちろん夫に優しさは感じるし、精神面でも体力的にも頼れば応えてくれる人です。
だからこそ私も夫を支えていけるのですが。
でもそれって夫婦としてもう日常で当たり前すぎて「特別な優しさ」を感じる感覚ではないんですよね。
いつの間にか自己解決しようとする力が先に出て、甘えたくなる手ではなくなってしまってるというか・・・。
他人だから差し出された手に手を伸ばしてしまう感覚、率直に言うと女性として見られている感動を瞬時に感じる年齢ってあると思います。
私もそんな年齢だったりするんだな~
だから彼女のそんな一瞬の感覚に共感してしまいました。


だから今回のことはしょうがないよね!とは言いませんよ。
やっぱり配偶者のある方とまた配偶者のある者同士が疑わしき行動を取るべきではないと思っています。
両者が「何もなかった」と言ってもそれは受ける側にすると「無」ではないのですから。

ただ弱っているときに受ける優しさへの喜びとかときめきとか一瞬の緩みってなんだかわかってしまうな・・・という。
お年頃のお話でした。




ARIGATO☆