わたしのみち

おもうこと、ひびのことあれこれ




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卒業式にはつきもの。「卒業生の言葉」は今も私の中に。

先日、久しぶりに会った友人のお子さんの進学が決まったと喜びの声を聞きました。

卒業式前に決まってくれて一安心だという言葉に、

自分の時以来、受験というものに縁のなかった私は、

そういえば卒業式の数日後に公立高校の受験だったか発表だったかがあったなぁ・・・

と思い出した次第です。

かく言う私も私立は合格してるものの、

本命の公立高校の受験(か発表)を控えていたはずですが、

中学校の卒業式を堪能した記憶も、

全身で卒業を喜べずソワソワしていた記憶もありません。

余裕のよっちゃんだったのか?

私の脳はスポンジ化が進んでいるのだろうか?

  

卒業生の言葉

卒業式の式次第に「卒業生の言葉」というのがありました。

 

A「おとーさん!」

B「おかーさん!」

C「中学生活の3年間、ありがとうございました!」

全員「ありがとうございました!」

D「僕たち!」

E「私たちは!」

F「今日、この学び舎を卒業します!」

全員「卒業します!」

 

ってやつです。

私の時は全員にソロパートがありましたが、

そういえば息子の卒業生ではソロパートは一部の子だけでした。

と…振り返り、これは小学校の卒業式のことだったと思い出しました。

スポンジ化は進んでないようだ。

 

当時の担任は生徒の性格やクラスメイトとの関わりをよく見ていたのでしょう。

私に充てがわれた言葉は、

「引っ込み思案な私を」でした。

引っ込み思案・人見知り・恥ずかしがりの三重苦だった私にぴったりのセリフです。

 

そのセリフの性格を今も持っている

成長して社会生活の中で人見知りはかなり改善したものの、

基本的な引っ込み思案な性格は今も多少持っています。

人との関係からさっと身を引くというのもそのひとつかなと感じています。

自分と相手の意見の違いなどを察知すると、

突き詰めて話をするということが苦手なんですよね。

私がこれ以上言葉を発しないことで討論にならなくて済むなら黙っておこうと。

そういう人は私だけじゃなく、同じタイプの方をたまに見かけます。

お互いサッと身を引きやすいのでその人との関係は続いていかないのですが、

とことん突き詰めればいい人間関係が築けるのかな?

 

 

人を追えない

以前、こんなことがありました。

Twitterで親しくなった方と頻繁におしゃべりする仲になったのですが、

あるとき私が忙しく、Twitterもあまり開けない、

よってお話する機会もない時期が数日ありました。

そこに相手から来たメッセージは

「すっかり疎遠になってしまったね。今までありがとう。」です。

これって、サヨナラの言葉ですよね?

私の脳内は???

疎遠って数日話せなかっただけなのに?

何か誤解があるのではと返事をしましたが、相手は見切りをつけている様子で、

深く掘り下げて引き留める努力を私はしませんでした。

その人は私にプラスになることをたくさん教えてくれる方だったので、

誤解があるなら解いて、ぜひ関係を続けたい思いはあったものの、

相手にそれを説くことは迷惑でしかないんじゃないかと出来なかったのです。

 

 

「引っ込み思案な私」はもしかしたら暗示かもしれない。

卒業生の言葉から暗示にかかっていて、

それが解けたらもっと積極的に人との関わりをもてるのかな?

他人と半ばケンカになったとしても、とことん話をするってことを避けてきたけど、

色々避けずにやらなきゃいけない時期に来てる気がする。

裏で愚痴ってないで面と向かってやらなきゃいけないかもしれない。

 

 

 

ARIGATO☆