先日、私の大切な人が亡くなりました。
私は今日までそれを知りませんでした。
これをブログに書いていいのか今も迷いながら書き進めています。
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その人は、私の幼なじみのお母さん。
私はママと呼んでいました。
小学生の頃は同じ地区に住む幼なじみ数人でいつも遊んでいました。
彼女のお家は自宅から少し離れたところで喫茶店を経営していて、
そこには大きな真っ黒なド―ベルマンがいました。
子供たちは恐れ半分、興味半分でそのド―ベルマンに会いに行くのですが、
夏の暑いときなど時々お客さんがいなくなった時間を見計らって、
お店に入れてくれてソーダ水をご馳走してくれました。
キラキラと光る緑のソーダ水が今も私の記憶にちゃんと残っています。
私が高校生の時、その喫茶店でアルバイトをすることになりました。
娘の友達ということで気を遣うこともあったかもしれませんが、
常に元気で明るく接してくれるママでした。
ある日ときどきやってくるお客さんが、私のいない時に来て指輪を置いていきました。
ほそ~いリングに小さいガーネットがついた指輪でした。
私はそのお客さんの顔もピンとこないし、
彼でもない人から指輪をもらうことを重大にとらえて受け取れないと言いました。
高校生が指輪をもらうことの独特の感覚ってありますよね?
するとママはケタケタっと笑い、
「いいやん、もらっとき!遊びにつけるのにちょうどいいやんか?
それで何か迫ってくるようなことがあったら、きっちり話したるから!」と、
そんなあっけらかんとした人でした。
もしややこしいことになったらお店に迷惑かかるのに・・・
別の日には彼氏がバイクで私のバイト終わりに迎えに来たのですが、
「あんた!女の子が後ろに乗ってケガしたらどうすんの!」と二人揃って一喝。
「男が怪我すんのと女が怪我するのはワケが違うからやめなさい。」と、
自分の娘に言うように注意されました。
それから彼氏は近くの公園にバイクを停めて徒歩で迎えにくるようになりました。
私自身、親からも言われていたにも関わらず反抗期だったのか、
ママの一言の方がピシャっと効いたように思います。
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喫茶店の裏には花壇があってママがよく花を手入れしていました。
ママを思うときは山茶花が思い浮かびます。
あの頃あの花壇に咲いてたのかな?
花に無頓着だったから記憶にないけど、もしかしたら店に飾っていたのかも。
いや、小柄な人だったけど、大輪のような存在感があったということなのかも。
私がバイトをやめた後になりますが、
マスター(幼なじみの父でママの夫)が事故で亡くなり、
お兄ちゃん(幼なじみの兄でママの息子)が病気でなくなり、
悲しい出来事がいくつも訪れてしまったのに、
みんなの前では懸命に明るく元気にしていたママ。
たまに顔を出したらこちらの健康や近況を気にかけてくれるママ。
おじいちゃん・おばあちゃん(舅姑)まで見送り、
幼なじみと二人になってしまったママ。
私は支えどころか、恩返しも何もできないままでした。
ごめんね、ママ。そしてありがとうございました。
今は広い家に一人残された幼なじみの支えになりたいと思います。
明るく闊達な幼なじみも今は・・・そう思うと会いに行かずにはいられません。
それがママの気休めにもなるなら尚更。
今はママとの思い出を想って、心の中で手を合わせます。